「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
」が、いろんなブログで話題になっています。特に梅田望夫氏の記事「水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。」と小飼弾氏の記事「今世紀最重要の一冊 – 書評 – 日本語が亡びるとき」は必見です。
まだ読んではいませんが、感想を見ると同感できること出来ないことなどがあったので、これは是非読んでみたい一冊です。
こういう仕事を選んでからというもの「学生時代にもっと真剣に英語を勉強しておけば良かった」と後悔することが多いくらい、専門書は英語、新しい技術も英語で・・・毎日どこかで必ず英語のサイトを見ているという生活です。
ちょっと脱線しますが
今回の中国出張、そして今までの海外生活で必ずと言っていいほど「日本人ですか?」と聞かれることが多く「はい、そうです」と会話を始めて気がつくのが、自分が日本のことをなんにも知らないんだなぁと言うことでした。今回の中国ではテレビをつけると必ずと言って良いほどどこかのチャンネルでは日本を悪役とした戦争ドラマが流れていて、この番組についての会話になることもありました(私だけかもしれませんが、学生時代の歴史の授業と言えば必ず明治時代で終わっていて、そこから先の昭和までの歴史と言えば学校では教えてくれることもなく、テレビや本で学ぶことしかできませんでした。)。
この時ほど「自分が日本人だと言うこと」を意識したことはありませんでした。
日本にいて、まわりが日本人の中で暮らしていると「○○県出身」という事を意識することはあっても「日本人」ということを意識する機会は滅多にないわけで・・・少し海外にいっただけでの私でも「自分の国のことをこれだけ知らない日本人ってどうなんだろう」と思うことが、他の海外旅行者の言動などを見ていても何度も何度もありました。
「英語の圧倒的一人勝ちで、日本語は衰退してしまうから、国語を守るために、国語の時授業時間を増やし、近代日本文学を読み継がせるのに主眼を置くべき」
「英語の圧倒的一人勝ちで、日本語圏には三流以下しか残らなくなるが、人々の生が輝ければそれでいい」で書かれている点には同意できる点も多いものがあります。少し過激かな?とも思いましたが、「近代文学だけでいいの?」というのが私の感想
子供たちの教科書を見ていても思うのですが、「こんな事教えなくてもいいのでは?」と思うような事柄に時間を割いて、「本当に社会に出てから必要となること」をあまり教えていないのでは?
パソコンの授業を見ても、これってパソコンを教えているのではなくWindowsの使い方の授業ではないかと思うのです。
脱線してばかりのこの記事ですが
確かにこういう時代だから英語は必要だと思うけれども、バイリンガルになる前に、その土台になる事の方が大事じゃないかと思います。
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